2026年07月16日
2026年6月、熊本県に所在する株式会社肥後銀行本社において、同行頭取である笠原慶久氏(以下、笠原氏)より、「理念に基づく現場重視のチームワーク経営」と題した特別講演を賜りました。
笠原氏は、慶應義塾大学経済学部をご卒業後、みずほ銀行(当時・富士銀行)に入行され、三行統合をはじめとする多様な経営課題に携わり、重要なポストを歴任されました。2015年に肥後銀行へ転じられて以降は、今なお肥後銀行頭取および九州フィナンシャルグループ代表取締役社長として、地方と中央をつなぐリーダーとしてご活躍されています。
本講演では、慶應義塾大学ビジネス・スクール(KBS)Executive MBA 11期(E11)の参加メンバーに向けて、笠原氏の経営観と人間観、その背景にある経験に加え、トップとしての理念経営に対する想いが体系的に整理され、深い示唆とともに語られました。
本講演の冒頭、笠原氏は「頭取と呼ばない文化」について触れられました。肩書ではなく人間関係を基盤としたフラットな組織づくりを志向する姿勢は、笠原氏が掲げる「チームワーク経営」を象徴するものです。形式より実質、上下関係より対話を重視するこの考え方は、組織文化の本質を問い直す視点となりました。
また、笠原氏は、自身のキャリアを語る際に「成功談」ではなく「失敗からの学び」を中心に紹介されました。若手時代は、思い通りにいかない現実と向き合う連続であり、その中で多くの気づきを得たと振り返られています。若い人の未熟さや失敗に対して寛容であるべきという姿勢は、笠原氏自身が周囲に育てられてきた実感に基づくものです。
人は失敗を通じて成長するという前提は、笠原氏の好きな言葉である「艱難汝を玉にす」にも通じ、リーダーとしての人材観を学ぶ上で大きな示唆となりました。
本講演を通じて、笠原氏の経営者としての価値観や判断基準は即席で形成されたものではなく、学生時代から現在に至るまでの多様な経験の積み重ねによって育まれてきたものであり、こうした経験こそが、現在の理念経営の基盤を形づくっているのだと強く感じました。
■ 学生時代の原体験
笠原氏は、「等身大の自分」を振り返りながら、高校時代に出会ったローマクラブの報告書『成長の限界』(1972年)が大きな転機となったと述べられました。「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」という警鐘は、環境問題への強い問題意識を芽生えさせ、後に肥後銀行でのSDGs推進の源流となっています。
■ 現場で培われた「経営観」
銀行員としてのキャリア初期、笠原氏は融資・営業の現場で、顧客理解の重要性を深く学んだと語られました。銀行側の論理だけでなく、顧客の置かれた状況や価値観を理解することが担当者の責任であるという認識が芽生えたといいます。
若手時代のエピソードとして、取引先との融資条件交渉の場で、提示された条件に即座に了承を示した経験が紹介されました。「なぜ若手の君がその場で判断できるのか」と問われた際、笠原氏は「銀行を代表して来ている以上、その場で判断できなければ担当者である意味がない」と感じたと述べられました。
これは、日頃から顧客を深く理解し、責任を持って向き合う姿勢があったからこそ可能な判断であり、現在、肥後銀行が掲げる行動バリュー「私が肥後銀行です」にも通じるものです。
■ 組織を動かすマネジメント
若い頃は率直に意見を述べるタイプであった笠原氏は、組織の中では「正しいことをどう伝えるか」が極めて重要であると学んだと語られました。正論をぶつけるだけでは組織は動かず、相手や状況に応じた伝え方がリーダーとしての成熟につながるという気づきは、現在のマネジメントスタイルの基盤となっています。
また、昨今「上司ガチャ」という言葉が話題になる中で、笠原氏は「部下は上司を選べないが、上司は部下をある程度選べる立場にある」と述べ、上司側の責任として関係性や環境づくりに配慮する必要性を強調されました。この考え方は、冒頭で語られた「頭取と呼ばない文化」に象徴されるフラットな組織づくりにも繋がっています。
笠原氏の価値観や経験は、現在、肥後銀行頭取・九州フィナンシャルグループ社長としての経営実践に結晶化しています。本講演の後半では、地域金融の未来を見据えたリーダーとして、どのような理念を軸に組織を導いているかが語られました。
■ 地域金融機関としての責任と未来への意思
少子高齢化・人口減少により地域経済を取り巻く環境が厳しさを増す中、笠原氏は人口減少を単なる市場縮小として捉えるのではなく、「生産性を飛躍的に高めることができれば、人口減少はむしろ生活を豊かにする可能性もある」と述べられました。
笠原氏は、人口減少を前提に「日本は縮小する」「地域は衰退する」といった議論が生まれやすい背景について、それらは多くの場合、「成り行きの未来(フォアキャスティング)」に基づく見方であると指摘されました。つまり、現在の延長線上で未来を語ると、どうしても悲観的な結論に陥りやすいということです。
しかし、同氏は「重要なのは、まずどのような未来を実現したいのかを描くことだ」と強調されました。「10年後の未来はどうなりますかとよく聞かれますが、未来は予測するものではなく創造するものです。10年後をどうしたいかと聞いてください、と答えている」という言葉は非常に印象的でした。
この姿勢は、私たちが慶應ビジネススクール(KBS)EMBAで学ぶバックキャスティングの思想そのものであり、持続的発展を見据えた「大義ある未来」を構想する上で、極めて大きな示唆となりました。
■ 理念に基づく現場重視のチームワーク経営
笠原氏の経営方針の中心にあるのが、「理念に基づく、現場重視のチームワーク経営」です。理念は単なるスローガンではなく、組織を正しい方向に導くための"軸"であり、現場の知恵とチームワークによって初めて実践されると強調されました。
日本ではマネジメントを「管理」と捉えがちですが、笠原氏はマネジメントの本質を「困難な状況を乗り越えるために大いに努力し、何とか目標に到達させることであり、思い通りにならないところから始まる現場に根ざした組織運営」であると述べられました。思い通りにならない現場から出発し、そこに向き合い続けることこそがマネジメントであるという考え方です。
本講演を聞きながら、この方針は、笠原氏が若手時代から大切にしてきた「現場を尊重する姿勢」や「人を信じて育てる姿勢」が、経営レベルで体系化されたものなのだと強く感じました。
笠原氏の講演は、理念、現場、チームワーク、地域金融、そしてリーダーシップの本質を、豊富な実体験とともに語る密度の高い内容でした。若手時代の学びから経営トップとしての意思決定に至るまで、一貫して 「人を信じ、現場を信じ、理念を軸に未来をつくる」 というプリンシパルが貫かれていました。
最後の質疑応答では、短期・長期の経営視点や、労働市場の流動性が高まる中でのチームワーク経営について質問が寄せられました。笠原氏は、「経営は長期的視点で考えなければならない。一方で、短期収益や成果を残さなければ長期的な経営を任されないため、両者のバランスが重要である」、「ビジョンや価値観が個人に深く浸透し、高い目標を共有できる組織は長期的に強い。共感・価値観・組織文化を通じて人が残り、力を発揮する仕組みをつくることが重要である」と述べられ、講演を締めくくられました。
未来を担うリーダーとして何を考え、どう行動すべきかを深く問い直す貴重な機会となりました。
文責:E11 堀川 勝功
